大阪 スポーツジムにあるタマキスポーツジム大阪女性専門スポーツジム大阪女性にスポーツジムに人気である

全国のぜん息児へのエール

栄光に近道はなし

をモットーにする玉置会長の病気に対する
前向きな姿勢をお伝えします。

私は重度のぜんそく児でした
元プロボクサー玉置 厚司
プロフィール
たまき あつし
1968年大阪府生まれ。
私立大阪工業大学付属高校入学と同時に
守口東郷ジムに入門し、ボクサーを目指す。
卒業直前にプロに転向。
87年7月にデビュー戦。91年には第6回ダイ
ヤモンドグローブ全日本A級ボクサートーナ
メントで優勝。フェザー級のランキング上位
に常にとどまっていた。

1968年公害都市日本一と言う大阪府守口市に玉置厚司は生まれる。

1972年7月22日4才の誕生日を迎える。狭い部屋の片隅に小さなケーキに
ローソクの火が灯る…。我が子の介護に疲れきった両親と公害ぜん息とい
う病に生死をさ迷う厚司はローソクの火を消す力さえ残っていなかった。そ
の時父が突然狂ったように大きな声で、『厚司、今日で4才。毎日寝てばか
りでは駄目だ。歩く姿をお父ちゃんに見せてくれ…』それを聞いた厚司は針
金のように痩せ衰えた体を震わせながら、両足を開き、両手の拳を握りしめ
歯を食いしばって必死に立ち上がろうとする。そして何回となく転びながらや
っと立ち上がり、『お父ちゃん!』と叫びながら父に抱きつく。父は哀れな我
が子を強く抱きしめながら涙声で『この子は…この子は死なないよ…』

ボクシングというスポーツで得た私の財産。

昔の私の喜びとは、他人に尽くされ与えられる喜びでした。今は多くの人達
と出会い、人を愛する心を『尽くされる喜び』から『尽くす喜び』に生まれ変わ
り健康な体に育ちました。ぜん息という病気に出会えたからこそ、今の自分
があると厚司は云う。

14才の時、病気に負けない体力作り。

『一番過激なスポーツは?』と父に聞く。ボクシング好きの父は『そりゃボクシ
ングやで!』玉置親子苦難のボクシング人生がここから始まる。公害認定手
帳を握りしめ死闘の練習に耐え、18才でプロの世界へ。そして血と汗と涙を
流し、ファンに感動を与え続けるが、32才で引退。14年間のボクシング人生
は幕を下ろした。(46戦10負)

ぜん息を治すためなら何でも我慢できた

ぜんそく児にしかわからない息苦しさ。治りたい一身で始めたボクシングは
ぜんそくをノックアウトしてくれました。
ぜんそくという病気がなかったら、それを克服しようとする強い志は生まれ
なかったと思います。どんなことがあってもチャレンジすれば成し遂げること
を、ぜんそくに苦しむ仲間に伝えたいのです。

プレゼント

★みんなで楽しくボクシング!

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1日体験 \1,000

※但し入会していただいた方には
返金いたします。